今年度、新卒採用のグループ面接の面接官をやらせてもらうことになりました。
3月の終わり頃から始まって、4月の頭でちょうど折り返し。これまでに20名ほどの学生さんと話をしてきたのですが、これまでの面接の中で「コミュニケーション」というキーワードが良く出てきました。
「私は○○○をして、バイト仲間とコミュニケーションを取りました」「○○○を成し遂げるためのコミュニケーションの大切さを学びました」とかとか。
そういう話を聞いて、自分でも「コミュニケーションって何だろう」と考えるいいきっかけになりました。会社でも「コミュニケーションを取れるようにする」みたいな目標がちょうど掲げられていたりして。
で、僕なりに考えた結果が、「"communication"って"community"と繋がっている言葉なんだ」という気づき。どちらからどちらの言葉が派生したのかは知りませんが、communication - communicate - communityって関連してそうだなと。
「コミュニケーション」って言葉は、ただ単に「連絡を取る」とか「情報を伝える」という意味だけじゃなくて、「共同体を作るための働きかけ」って意味もあるんじゃないかと思ったのです。
そう考えたとき、例えば会社では「報・連・相をしっかりすること」がコミュニケーションを取ること、みたいに考えられる風潮があるのですが、本当にそうなのかと思うわけです。特に最近は、「見える化」みたいなのが流行っていて、定量的に、数字で表現しろ、とか言われるのですが、それがコミュニケーションを取ることに繋がるとは思えません。
数字とか定量的な評価って、communityに属していない人に対して説明するときは必要でも、同じcommunityであれば、そこまでこだわらなくても良いんじゃないかと思うのです。
例えば自分の住んでいた町で、「○○さんの家が大変なことになった」なんて話を聞いたら、「それは定量的にどういうこと?」なんて聞いたりしませんよね(地方出身者だけかもしれませんが)。大変なことになったら大変なことになっているわけで。そのことを言ってまわっている人の性格とか、○○さんの家の状況は、少なくともそのcommunityでは共通認識としてあるわけです。その共通認識を作り上げていくのが「コミュニケーション」なんじゃないかなぁと思うのです。
「社内は良くても、数字がないとお客さんに説明する偉い人が困るんだよ」と言う反論が出てきそうですが、困るってことは、説明する偉い人と、説明を受けるお客さんとの間でコミュニケーションが取れていないってことなんじゃないでしょうか。
コミュニケーションの話からずれてきましたが、学生さんの話の中で「定量的に」とか「見える化」とかいう言葉が出てきていて、兎にも角にも数値化すれば良いと盲目的に信じているような人が多いので、気になっているのです。
数値化は結構なことなんですが、数値化したからすべての状況が分かるとかすべて説明できるというのは大嘘です。所詮それも、ある側面から見た数字でしかないわけで。その数字を吟味して見えてくる何かは、結局、そのcommunityの中にある共通認識の部分だったりするんじゃないかなと。
最近の社会は、リアルの世界でコミュニティを作るということに難しさを覚えてしまう人が多くなってきているように思います(若い人だけじゃなくて)。他人の懐に一歩踏み込んだり、或いは自分の懐に相手を踏み込ませたりすることをやって、初めて「コミュニケーションできました」と言えると思うのですが、どうでしょうか。
こんなこと書いている自分も、なかなか苦手だったりするのですが。
コメント (2)
Gazz ! に書きたまえ。
というか、Gazz ! にも反映されるか。
Posted by: 岡村豊彦 | 2006年4月 9日 00:32
Gazz!のコミュニティにコメントしておきました。
Gazz!のコミュニティへの寄稿って概念は良いですね。外部ブログでも可能にならないかなぁ。
Posted by: Chris | 2006年4月10日 00:26